私たちの淀みなき日常について

私たちはたぶん、どこにでもいるような、適度に幸福で、適当に不幸な一組の夫婦だ。

子どもはいない。同居しはじめてから4年が経ち、結婚してから1年と少し経った。

どこにでもいる夫婦のように、幾度か別れや離婚の危機があり、もう一緒にやっていけないと思う夜があって、そして幾度も、この人と共に生きてゆこうと思い直してきた。

1年のうちの大抵の日において、すごく感動したり、すごく悲しんだり、すごく嬉しがったりすることもなく、私たちの日常は淡々と、川の流れのように移ろっていく。

 

いまどきの夫婦らしく、結婚式を挙げず、タキシードもウェディングドレスも着なかった。

共通の趣味は読書と映画とウィスキー。

ほか、世界大戦と、音楽、歴史上のいくつかの事件について同じ関心を持つことがある。

ウィスキー以外については、好みが重なることは少ない(ときどき思い出したようにぴたりと好きなものが一致することはある)。食の好みは大きく違いはしないけれど、私は揚げ物と甘すぎるものが苦手でアレルギーが多く、彼は食感が妙なものやグロテスクな素材が苦手だがアレルギーの食材はない。二人して脂質と糖分とアルコールをなるだけ控えようと努力して、ときどき羽目を外してはまた控えようと努力する。

おおむね大事な仕事においては完璧を求めようとすることが多く、ときに私たちは良い仕事を求めてはひどく疲れる。勤勉な日と、怠惰な日がある。私は特にその波が激しい。毎日勤めに出ている彼と違い、フリーランスで仕事をしていると、体調や気分の波が、直に時間割を翻弄する。

日々は私たちの上に大気のように圧しかかって、私たちはときにその存在を悟っては嘆き、あるいは歓迎し、大抵においてその存在を忘れている。

 

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アイラ島に行くことを考え出したのがいつだったかはよく覚えていない。たぶん新婚旅行のための結婚休暇について話をしたとき、私たちが共に楽しめる土地はどこだろうかとアイディアを出し合っている最中、共に好むアイラモルトウィスキーの産地に行ってみようという案が出ていたのだと思う。とはいえ一時期はアメリカに行こうとかフランスに行こうとかいう話もあった。具体的な目的地は決まらないまま、新婚旅行に行こうという確固たる決意も固まらないまま、婚姻届を出して1年経ってしまった。

その頃だったろうか、彼が不意に本当に私たちはアメリカに行きたいのだろうかと、やはりアイラ島を選ぶべきではないか、と言った。私はそれに同意した。アメリカには彼は出張で行く可能性が大いにあったし、私は一度訪れたことのあるパリの街をさして好めなかった。国内は別の用事でたびたび方々を訪れていて、そもそも食傷気味だった。

何より私たちは、日本人がごくふつうに訪れる名所旧跡に強い興味はなく、きっと人生でも長く大きな旅行のうちの1つになるであろう新婚旅行というものを、私たち自身の興味において決めたいと思った。このときにしか行けないであろう場所。思い切りがなければ到底、行くという選択ができない場所。

それは私たちにとって、アイラ島だった。

 

スコットランドの外れにあり、風光明媚というよりは曇天と潮風に包まれたアイラ島。それに加えて、彼はジャージー島と呼ばれる、フランスにごく近いが英国王室の領土である島を選んだ。私はごく個人的な興味からこの島に行ったことがあって、予てからその風土の穏やかさを理由に推薦していた。

ジャージー島英仏海峡のサン・マロ港にほど近く、二次大戦の折にはフランスのユダヤ人たちがナチスの手から逃れようと移住した土地だが、結局はフランスより先に占領されてしまい、英国艦隊の助けで占領を解かれたのは比較的遅く、大戦の後始末に差し掛かってからだった。その後、英国王室領でありつつ自治を敷く島であり、いわゆるタックスヘイヴンでもある、という不可思議な立ち位置を守りながら、バカンスの名所として西欧で根強い人気を誇っている。海岸の眺めは美しく、街は英仏混淆の風変わりな雰囲気で、日本人のよく知るところではジャージー牛乳の「ジャージー牛」(ホルスタイン種より小柄で、茶色い体毛が特徴)の原産地である。

 

目的地が決まると、飛行機好きな彼は楽しそうに飛行機の予約や、各種の登録手続の手順を整えたり、必要な手配をすぐさま始めた。まるで何かやっていないと死んでしまうかのように次々とタスクを積み上げては処理し、積み上げては処理していった。私も宿探しやWebの登録などには付き合ったものの、ほとんどの必要項目は彼がすでに埋めていた。お陰様で、交通手段と宿泊地は無事に確保できた。レンタカーを借りる手筈も整った。残りは強いて言えば、現地でどこに行き、何をするのか、といったところである。あるいは何をしないのか。しかし彼曰く「観光ガイドをなぞるような旅はしたくない。ガイドブックにすでに書いてあることを確かめにいくような旅の仕方はしたくない」と。『メディア論』に描かれた写真以後の旅の形態に、まるで真っ向から逆らうような要望だなあ、と思いながら、私もそれに同意した。私たちは日常から逃れるために、非日常を定義せず、空の船に身をまかせるのだ。さながら、旅の上にありながら日常であるかのような軽い心持ちで。